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私たちについて

オーストリア人が日本でコーヒー焙煎をしている訳

 

こんにちは、私の名前はマリン・ギュンターです 

 

多くの方がおそらく、あの長い伝統のあるウィーンのコーヒーハウスを連想されるかもしれません。私自身もコーヒーハウスの価値を高く評価しており、またウィーンへ行くたびに訪れます。しかし私はオーストリアの中でも、ウィーンとは反対側の西の端の地域で生まれ育ち、このウィーンの伝統文化であるコーヒーハウスの価値を本当に理解したのは、後になっての事でした。

 

オーストリアの西の地域は高い山々がそびえ立ち、長い冬には谷に霧がたちこみます。春にはあちらこちらに花々が咲き、夏には暑い日々が続きます。秋には多くの人たちが、山々でのハイキングを楽しみます。冬にはスキー、夏には屋外のプールで、というのが昔からの余暇の楽しみ方でした。同じく昔から引き継がれているこの地域の伝統として、夏には遊牧の牛たちは野草山草が咲き乱れる涼しい山の上に連れて行かれ、酪農家の人たちはこの牛からもらった素晴らしいミルクで極上の質の山チーズを作ります。もしかすると、こちらを読んでくださっている方々は、この全てがコーヒーと何の関係があるのか、と思われるかもしれません。実は、この酪農の伝統があるオーストリアの山脈地域からイタリアへは、車でたったの3時間足らずで行く事ができます。

 

私が子供の頃はコーヒーは好きでなく、また飲む事も禁止されていました。ティーンエージャーの頃や大人になった頃には砂糖とミルクが入ったフィルターコーヒーまたは偽のミルク入りの薄いコーヒーが自動販売機で売られていました。当時はそれは全く普通のことでした。今もしそういうコーヒーを飲む機会があるとしたら、感謝を込めて辞退したいと思います。

 

時代が過ぎていくにつれ、ヨーロッパの家庭には最初の全自動コーヒーマシンが浸透していきました。これらのマシンを使うとボタン一つで立派なクレマ(コーヒーの最上層にできるブラウンのクリームのような泡)を作り出す事ができました。しかし、コーヒー自体の質は実際には本当に良くなったとは言えませんでした。何故なら、スーパーの棚に並ぶコーヒー豆の質は未だに70年代に売られていたのと同じようなブレンドだったからです。

 

当時のカフェでは主にフェルレンゲルター(アメリカン)とカプチーノが、ほぼスポンジのような硬さのミルクの泡や、泡立てられた生クリームをのせて提供されていました。その頃勤務していた会社の中で部署を移動する事になり、新しい部署の仕事上、ヨーロッパの様々なところや、地球の反対側まで旅するようになりました。これらの出張旅行の内、何回かスカンディナビアへも行きました。そこでは当時既に全く別のコーヒー文化が発達しており、その影響で、私自身の新しいコーヒー文化への興味も少なからず刺激されました。

 

仕事上の旅のうち、イタリア各地へいく事も多くありました。イタリアではコーヒーは生活の一部として溶け込んでいます。例えば仕事場の施設の都合上で、午前中に小さな休憩をするのにカフェ(エスプレッソ)を飲む事ができない場合など、イタリアの同僚たちは最寄りのバーまで車で走り、立ち飲みで一服のカフェを飲んでいました。夕食には食べた後に必ず最後にそのレストランのバーのカフェで締める、というのが常識で、それはもう真夜中に近い時間であっても普通にされる事でした。このように私のカフェ(エスプレッソ)に対する愛情は徐々に増していきました。この頃以降の私にとり、コーヒーといえばエスプレッソ、というのは議論の余地のない事実でした。

 

が最初に購入したマンションには、そういう訳でちゃんとしたポルタフィルター付きのエスプレッソマシンと、コーヒーをいれる都度新鮮な豆を挽けるようにコーヒーミルがありました。もし誰かがフェルレンゲルター(アメリカン)を飲みたい時には、(私の当時の無知をお教えするような事ですが、)エスプレッソマシンで抽出したカフェに、コーヒーカップが丁度になるまでの量の熱湯が注ぎ薄めていました。実はこれは今現在もオーストリアでは普通のコーヒー として飲まれているものです。味としてはエスプレッソの苦さと酸味が、たぶん弱まったような感じだったでしょう。ここで、この当時の私がいれたコーヒーを飲まなければいけなかった人たちに謝りたいような気持ちです。

 

仕事内容の変化につれオフィスでの勤務が増え、出張·旅行をする機会は段々と減っていきました。エスプレッソへの愛はそのまま残り、1日に8杯位飲むようにまでなりました。数少ない出張の中で、私の妻に出会うことになりました。妻は日本人で(私の幸運ですが)ドイツの大学で学んでいました。私たちが初めて出会ったのは、ドイツの中部都市ボンでした。妻も私同様にイタリアが大好きで長めの週末を何回かイタリアで共に過ごしました。私と妻で二人で初めて訪れた日本は、大きな喜びでした。しかし同時に日本での滞在中にカフェマニアとして大きな挑戦に立たされました。日本ではフィルターコーヒーのみ提供するカフェ(喫茶店)に遭遇した為です。それはエスプレッソ中毒の人間にとって挑戦であると同時に、新たな興味を掘り起こすチャンスでもありました。

 

話をオーストリアに戻しても、コーヒーをめぐる事情は変わっていきました。普及しているエスプレッソマシンも徐々にプロ仕様に近づいていき、またコーヒー豆自体も質の良い物が増えていきました。当時の住まいの隣町に小さな焙煎所があり、そこではエスプレッソと共にフィルターコーヒーも出していました。その頃さらにずっと大切な出来事がありました。私たちの娘の誕生です。お子様をお持ちの方は私のいう意味がすぐにお分かりになるでしょう。私たちの娘を通して、先に書きました焙煎所のオーナーと個人的に知り合う事になり、自分のコーヒーの世界の地平線を拡げることができました。しかしながらエスプレッソにこだわるところはまだ変わりませんでした。

 

しばらくして、私たちの生活の拠点を日本へ移そうという決断をしました。話を重ねていくうちに、日本への移住と共に自分の仕事も変えたい、という事が自分の内ではっきりとしてきました。一つまた一つと考え話していく内に、きっとクレイジーなように見えたでしょうが、私は日本でコーヒーの店を始めたい、と思ったのです。今までに書きましたように、当時の私のコーヒーについての知識はひどいものでした。しかしコーヒーへの関心はとても大きくなっていました。日本へ越す前にバリスタコースを修了することになりました。

 

先に挙げた焙煎所のオーナーと懇意になった事から、また自分自身で調べた結果から、私が学びたい、学ぶべきだと思ったバリスタの学校は、オーストリアにおいて一か所しかない、という事がすぐに明らかになりました。そこはヨーロッパにおけるバリスタの学びの場として、最高レベルのいくつかの学校の内の一つでした。そして私はゴラン·フバー氏のカフェ·インスティテュートにおいて、バリスタ初級コースと中級コースを修了する幸運に恵まれました。ゴラン氏の元で私は開眼することになりました。そこでは、単に完璧なカプチーノをいれることをマスターしたりバリスタのベーシックを学ぶだけではありませんでした。ゴラン氏のコースでは、植物学から見たコーヒーから始まり、コーヒーの焙煎、そしてコーヒーに関わる機械の手入れの仕方まで、コーヒーに関して余すことなく、広範囲の分野それぞれからの学びの機会が与えられました。そういう訳で、コーヒーの世界にはエスプレッソ以外にもずっと広いものなのだ、という事が自分にもはっきりと見えてきました。カフェ·インスティテュートでは、1日のうちに多様なコーヒー生産地からの、様々な質と処理をされたコーヒー豆を並べて、試し、評価をしてみる、という大変恵まれた機会を与えられました。私はコーヒー天国に居たようなものです。コーヒーに対しての私の関心はさらに増していき、また、初めて自分でコーヒーを焙煎したという体験は、私の内に大きな跡を残しました。

 

バリスタ中級コースの修了書をスーツケースに、日本へと渡航しました。日本では既に先に発った私の家族が待っており、再会は大きな喜びでした。その後少しして、長いことご無沙汰していた、学校へ通うということをする事になりました。正確には、幼い娘に既に追い越されていた私の日本語能力を上げる為に、語学学校へ通い始めることになりました。しかしそれは又、家族とたくさんの時間を共に過ごし、幼い娘の成長を目の当たりにし生活するという掛け替えのない、大きな特権のような感じでもありました。又その頃にカフェの開業に関しての初めの一歩、初めのアイディアが産まれました。

 

それに伴い、コーヒー豆の焙煎が、より中心のテーマとなっていきました。カフェを始める準備として初めの大きな投資はそういう訳で、イカワの小型焙煎機と、あるインターネットショップからの数キロのコーヒー豆の購入となりました。その後は、家で飲む為のコーヒーは全て私が自分で焙煎したものになりました。このようにして生豆や焙煎の経験を積み、また私自身の味覚を徐々に磨き上げる事ができました。又、家族で出かけた時や、語学学校へ通う道の途中で私は常においしいコーヒーを求めていました。それらのコーヒーがどのように焙煎され、準備され、飲まれているのかを知り、経験する為です。

 

段々と、店舗の物件を探したり、条件に合った自分のカフェのコンセプトを定めていく段階になっていきました。イカワの小型焙煎機を使い始めた感覚からも、又今現在のカフェ事情を感じ取っても、自分のカフェのコンセプトはすぐに明らかになりました。コーヒーを準備して提供するだけではなく、使用するコーヒー豆を自分自身で焙煎したい、と思いました。自分の希望に合う店舗物件を見つけ出すことはずっと大きな挑戦となりました。。。結果として、焙煎所を始めるというプロジェクトの速度を落とさざるを得ない状況に私たちはありました。このような特殊な状態にあった為に、私は以前長い間勤務していた会社のために、以前と同じ職務をフリーランサーという立場になり仕事することになりました。この時期に又、自分の中ではっきり自覚した事は、焙煎を中心に据えてやっていくのであれば自分のコーヒーの知識を再度更に磨き上げる事が必須である、という事でした。家族の同意があり、ゴラン氏のカフェ·インスティテュートへと向かい、そこでバリスタ上級学士を修了する事ができました。家族の理解に感謝します。

 

オーストリアから日本へ戻り、この焙煎所のプロジェクトが再開となりました。そしてありがたい偶然の流れで、ある物件を藤沢市の辻堂に見つけ、契約することができました。このストーリーに続く残りの部分は、これを今読んでいらっしゃる皆様自身が、トラコーヒーロースターズへ直接お越しになってご覧いただければ、幸いです。

 

ここまで書いたすべてのことが現実となるのは、妻の支えなしには不可能でした。感謝は言い尽くせないです。

カート

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